Live At Birdland 1957 / Bud Powell

Live in Birdland 1957 / Live In Scandinavia 1962

一昨年だか去年だかに日本のマシュマロレコードから出て、飛びついたはいいもののちゃんと聞く暇が無くて買ったまま積んであったCDの一枚。1957年10月、NYのクラブ「バードランド」におけるバド・パウエルの未発表ライヴ録音である。すでにマシュマロのCDは売り切れていて、現在では同じ音源はこのハーフ・オフィシャル、というかブートレグのダウンロード音源でしか手に入らないようだ(1~4曲目が相当)。というかこのジャケット写真、パウエルじゃなくてソニー・クラークじゃないのかな…。

天才バド・パウエルの完全未発表発掘音源、と聞くだけで、私のようなパウエル・フリークはもう胸が一杯になってしまうわけだが、しかし冷静に考えると1950年代中期というとパウエルがかなりおかしくなっていた時期で、残された作品には出来にかなりのムラがある。もちろん全体の基調は下降線で、40年代末から50年代初頭にかけての天馬空を行く演奏とはアイデアの冴えも運指も比べるべくもないのだが、ダメなときは完全に崩壊しているとしか言いようがない無残な演奏に終始する一方、調子が良い時は凄まじい演奏を披露することもある。さらに事態をややこしくするのは、この人は演奏に内在する力強さや迫力と表面的なテクニックの冴えとがあまりリンクしていないということで、指はそれなりに動いているんだが全く生気が感じられない演奏もあれば、運指もリズムも全くおぼつかないにも関わらず異様な緊張感をはらんだ演奏を展開することもある。ようするに、聞いてみるまで当たりか外れか全く予想が出来ないわけです。

結論から先に言えばこれは当たりで、かなりの掘り出し物だと思う。細かいことを言えばきりが無いわけだが、とにかく全体に活気が漲っているのがよい。ラジオのエアチェックではなくちゃんとした録音(というか、後述の通りパウエルがどうこうというより、ライヴをステレオ録音するテストという意味合いのほうが強かったのかもしれない)で、おまけに共演者が若き日のフィル・ウッズやドナルド・バードという時点ですでに相当なものだが、そもそもピアノ・トリオではない、トランペットやサックスが入ったコンボ編成のライヴ録音は、渡欧時の録音ならいくつか残されているものの、私が知る限り在米時は1953年以降皆無だったはずで、それだけでも貴重と言える。

新曲を作ったり覚えられるような精神状態ではなかったということもあるのか、レパートリーもいわゆるバップの定番曲ばかり、しかも平均10分以上と長尺の演奏なので、各ソロイストには十分なソロ・スペースを与えられていて、自分のアイデアを自由に展開している。悪く言えばジャム・セッションに毛が生えた程度というか、同時期のBlue Note録音のような強力なプロデューサーシップは感じられないわけですが…。

「いまだかって、どの資料にも記載が無かった驚異の音源」との触れ込みだが、今まで全く存在が知られていなかったかというとそうでもなく、2012年に出たピーター・プルマンによるバド・パウエルの伝記Wail: The Life of Bud Powellには、このセッションの背景に関する言及がある。いわく

「モリス・レヴィ(訳注:『バードランド』のオーナー)はパウエルに演奏活動を継続させるため、いくらか手を差し伸べたようだ。レヴィの新しい試みは、バードランドにおけるライヴ演奏をステレオLPで発表するということだった。最初レヴィはRCAと契約を結んだのだが、その後彼自身のレーベル、Rouletteを始めることにした。レヴィはパウエルを最初のRoulette契約アーティストに選び、1957年7月15日に契約が結ばれた。その一ヶ月後には、カウント・ベイシーとも契約を結んでいる。レヴィはパウエルに月曜の夜『バードランド』でクインテット編成で演奏させ、それをステレオで録音し、Rouletteレーベルから発表することにした。その後、レヴィはトリオ編成でのスタジオ録音も手配している(脚注55)。」

「注55. レヴィはパウエルに録音の機会を与えた。Rouletteでのステレオ録音。テープは現存していて未発表のまま(マイケル・カスクーナによる情報)。ナイト・クラブにおける初期のステレオ・ライヴ録音の例で、音質は非常に良い。パウエルは若いソロイストたちを含むクインテットを率いて演奏している―トランペットはドナルド・バード、アルト・サクソフォンはフィル・ウッズ。しかしバードを除き演奏には欠点が多く、おそらくこの音楽を商品として発表する許諾が与えられることはないだろう。」

トリオ編成でのスタジオ録音、というのはBud Plays Birdのことでしょうね。

この記述を信用するなら、録音日時は1957年10月の月曜深夜(あるいは火曜の早朝)で、7日、14日、21日、28日のうちいずれかということになりそうだ。実はこの夜は当時有名だったラジオDJのシンフォニー・シッド・トーリンが司会で、と言ってもオフマイクなのであまり聞こえないのだが、彼のアナウンスによると同じ晩にはレッド・ガーランドのトリオも出ていて、朝の4時まで演奏していたようである。演奏内容に関しては、確かにバードはがんばっているとは思うが、別にウッズも(Lover Manの出だしでいきなりとちったりはしているが)そんなに悪い演奏ではない。パウエルは例によってガーガー唸り声を上げながら鍵盤をひっぱたいているが、もちろん相当よれてはいるのだけれど、この時期にしてはかなり快調な部類ではないかと思う。少なくとも、演奏の展開に連続性とひらめきがある。まあ今にして思えば…という話で、当時はまだ(ほんの数年前の)絶頂期の颯爽たるパウエルの残像を多くの人が抱いていたころだろうから、失敗セッションの烙印を押されてお蔵入りしても不思議ではないが。ウッズ、バード、ポール・チェンバーズ、アート・テイラーというと、当時ジョージ・ウォーリントンのバンドを去来した人たちだが、もしかするとウォーリントンが自分の人脈から(パウエルが演奏中に崩壊してもなんとかカバーできそうな)サイドメンを旧知のバドへピックアップしてあげたのかもしれない。

ついでに言うと、マシュマロのCDのライナーには3曲目の「“ラバー・マン"は意外なことにバドの演奏としては初出である」だの「パーカーゆかりの『Lover Man』はパウエルにとって唯一の記録」だのと書かれているのだが、1961年パリでのライヴ録音がある。パウエルの死後、ESPレーベルからちゃんと(?)リリースされた、割と有名な音源だと思うが…。

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