サー・チャールズ・トンプソン

6月16日にサー・チャールズ・トンプソンが亡くなっていたことを知った。享年98。

1918年生まれということは、ハンク・ジョーンズと同い年で、チャーリー・パーカー(1920年生まれ)やバド・パウエル(1924年生まれ)らビバップの主力よりも若干年上の世代である。バップ以降の音楽にも対応できたが、音楽的骨格はスウィングという、いわゆる中間派の代表的なピアニストだった。

オハイオ州スプリングフィールドの牧師の息子として生まれたが、子供のころ一家でカンザスシティに移住している。最初はヴァイオリンを学んだが、間もなくピアノを弾くようになる。当時すでにベニー・モーテンやカウント・ベイシーと付き合いがあったようだ。

17歳で家を出て、1939年からライオネル・ハンプトンのバンドに参加。ピアノを弾くと共に作曲やアレンジも手がける。当時のハンプトン・バンドにはデクスター・ゴードンやイリノイ・ジャケーといった優秀な若手が揃っていたが、彼らとの付き合いは後年も続くことになる。

1941年いっぱいでハンプトンのバンドを離れてニューヨークに落ち着き、52丁目やハーレムでフリーランス・ピアニストとして活躍。スウィングの大御所はもちろん、当時登場したばかりのビバッパーとも交流を深める。1942年にはレスター・ヤングとグリニッジ・ヴィレッジの「カフェ・ソサエティ」で共演し、「サー・チャールズ」のニックネームをもらう。ビリー・ホリデイに「レディ・デイ」の名を与えた名付け名人のレスターらしく、サー・チャールズもシンプルで洒落た演奏を得意とするトンプソンにぴったりのあだ名である。1944年には西海岸に移ったようで、ラッキー・ミリンダのバンドに参加している。

1945年には、映画「The Crimson Canary」にコールマン・ホーキンズのバンドのピアニストとして登場している。確かに少しだけ映ってはいるのだが、あくまで主役はホーキンズとハワード・マギー、そしてオスカー・ペティフォードで(ちなみにドラムスはデンジル・ベスト)、当時市民権を得つつあったモダン・ジャズの勢いを鮮明に伝えてくれる。残念ながらYouTubeの画質はあまり鮮明ではありませんが…。

1945年はある意味サー・チャールズのキャリアの頂点となった年で、重要な仕事をいくつもこなしている。まずホーキンズとの一連の録音が重要で、特に2月23日のキャピトル・セッションでは、RifftideやStuffyなど、明らかにそれまでのスウィングとは違ったモダンな肌触りを持つ名演を残している。リーダーもビバップに影響されて意気上がっていたころで、後年しょぼくれた感じになってしまったマギーもバリバリ吹いていて気持ちがよい。サー・チャールズのソロも、短いがバップ・マナーに従った快適なものだ。このころの録音は以前は入手しにくかったのだが、今はAmazonで手軽に買える。

Complete Jazz Series 1945

9月4日には、おそらくサー・チャールズの最も有名な録音であろうアポロ・セッションが行われている。これが初リーダー録音だが、チャーリー・パーカー、デクスター・ゴードン、バック・クレイトンという豪華なメンツを従え、彼らに位負けしないだけの演奏を聴かせる。

Takin' Off

このThe Street Beatはサー・チャールズが書いた曲なのだが、1950年のいわゆるOne Night In Birdlandのセッションで、パーカー(とファッツ・ナヴァロ、そしてバド・パウエル)が決定的な名演を残している。いつの日かタイムマシンが出来たら、1950年6月30日に戻りたいものです。

ブルムース・ジャクソンやラッキー・ミリンダらとの共演を挟み、1947年にはイリノイ・ジャケーのバンドに参加。5月21日に録音したRobbins’ Nestは大ヒットし、ジャケーの十八番となると共に、多くのジャズメンによって演奏され続けるサー・チャールズの代表曲となった。

ジャンピン・アット・ジ・アポロ

50年代に入るとサー・チャールズは、伝説的なプロデューサー、ジョン・ハモンドがVanguardレーベルでプロデュースした一連の中間派セッションに多く参加している。このへんの録音は以前日本でまとまってCD化されたのだが、今はごくわずかなものを除いて非常に入手が難しいのが残念だ。

For the Ears

とはいえ、トロンボーン奏者、ヴィック・ディッケンソンの最高傑作である「ショウケース」は比較的入手が簡単なのでありがたい。村上春樹のフェイヴァリットで、小説やエッセイにも出てきたと記憶している。人によってはちょっと古くさいと思うかもしれないが、じっくり聞き込むと、音ににじみ出る人間の厚みと言いますか、そんなようなことを柄にもなくつぶやきたくなるわけです。

Showcase

なお1953年には晩年のパーカーとボストンで再共演している。これもなかなか良い演奏である。

At Storyville

また、バック・クレイトンが仕切った一連のジャム・セッションにも参加している。このあたりも別テイク込みでいつか集大成されて欲しいものだが、とりあえずはRobbins’ Nestが入っているこれですかねえ。

ハックル・バック

60年代に入ると少しずつ活動が鈍っていったような印象があるのだが、渡欧してドン・バイアスと共演したり、新たにオルガンを手がけたりして地道に演奏していたようだ。

フィーチャリング・サー・チャールズ・トンプソン

ヴォーカルものの少ないBlue Noteでは珍しいドド・グリーンのMy Hour of Needには、オルガンで参加している。また、ずっとお蔵入りしていたデクスター・ゴードンの未発表録音集Landslideにも、数曲で参加している。デックスの作品としてはあまり話題にならないし、全曲に参加しているわけでもないが、私は好きで良く聞く一枚である。

マイ・アワー・オブ・ニード

ランドスライド

70年代以降は本格的に復調し、いくつか優れたアルバムを残している。Black & BlueのHey Thereなどはかなり好きなアルバムだ(ピアノの音がものすごく良い)。ソロ・ピアノ集があるらしいのだがCD化されておらず私は未聴である。

Hey there (1974) [The Definitive Black & Blue Sessions]

どちらかというと90年代以降の最晩年に結構良いアルバムが多かったような気がする。上不三雄氏が運営する日本のレーベルMarshmallowに残した諸作品も良かったが、1993年にキングレコードで録音したロビンズ・ネストがキャリアを総括するようなピアノ・トリオの名作だったように思う。

2002年以降は、日本人と結婚して千葉かどこかに住んでいたらしい。シカゴ等に遠征することもあり、日本でもたまに人前で演奏することもあったようだが、あいにく生で見ることが出来なかったのが残念だ。

最晩年のサー・チャールズ。

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