Brotherman In The Fatherland / Rahsaan Roland Kirk

Brotherman in the Fatherland

世間はゴールデンウィークだというのに仕事だし、その仕事がどいつもこいつもあまりにも進まないし、おまけに女の子には振られるし、ありとあらゆる点でうんざりしてきたので現実逃避にざっと訳してみた。このアルバムは内容も素晴らしいが、私が本当に好きなのは故ジョエル・ドーンによるライナーノーツだ。海千山千の音楽プロデューサーらしいひねくれた文章の味と、唐突に噴出するむき出しの愛がたまらない。俺もこういう文章が書きたいなあ。


以下はわたしことジョエル・ドーンと、わたしが信頼する右腕のケヴィン・カラブロとの間で最近交わされた会話を忠実に文字起こししたもの、ではない。しかしまあ、ジャズ向けにはこれくらいでも十分忠実と言えるだろう。あるいはドゥーワップ向けにも。あるいはゴスペル向けにも。あるいはブルーグラス向けにも。あるいはオペラ向けにも。あるいはサルサ向けにも。あるいはスキッフル向けにも。あるいはカリプソ向けにも。というか何向けにも。

ともあれ、最初にあなたが耳にするのは電話越しのケヴィンの声である。楽しいドライヴ中の一コマ。


ケヴィン・カラブロ(KC):ねえ、次に出すラサーン(・ローランド・カーク)のアルバムには、本物のライターに頼んで本物のライナーノーツをつけましょうよ。

ジョエル・ドーン(JD):いやだめだ。

KC:どうして?

JD:どうしてって、ラサーンのアルバムのライナーは俺が書くと決めているからだよ。

KC:でも、一回くらいは僕もラサーンのアルバムにまともなライナーノーツを添えてプレスとかラジオとかに送ってみたいんですよ。

JD:そりゃお前、俺だって一回くらいはジェーン・マンスフィールドとリンカーン・トンネルのニュージャージー側にあるような時間貸のモーテルにしけ込んでみたかったよ。クスリキメてキツイ酒飲んで彼女が踊るのを見るとかどうよ。

KC:ねえあなた、僕は真面目な話をしてるんですよ。

JD:俺だってそうだよ。

KC:ちょっと聞いてくださいよ、いいですか、みんなあなたのライナー好きじゃないんですよ。

JD:そんなことはない。バズは好きだぞ。レヴィンも好きだ。コズモだって好きだよ。

KC:僕は人間の話をしてるんで、あなたの友達のことはどうでもいいんですよ。

JD:お前、俺だったらバズのことをそんな風にけなすなら注意するぞ。バズに「チャーリー・トマト」を呼ばれたくはないだろ。チャーリーはお前がどこに住んでいるか知ってるぞ。

KC:あんたね、あんたがCompliments of the Mysterious Phantomに書いたくだらないライナーのせいで僕がどれだけひどい目に遭ったか分かってるんですか?ヴィクター・シェルドレイクにインタビューさせろっていう話が実際に来たんですよ。あんたがおもしろいと思って適当にでっち上げただけで、ヴィクター・シェルドレイクなんて人間は本当はいないんだと人さまに説明しなければならない僕の気持ちが分かります?存在しない奴にインタビューさせろと人に言われたらあんたならどう答えるんですか。

JD:別れた嫁にやるのと同じで、俺なら嘘をつくだろうな。シェルドレイクはもうインタビューを受け付けない、彼は真の愛の対象だったメイミー・アイゼンハワーを亡くしたので喪に服している、とかさ。でその後は、アイクが街を離れるたびに連中がホワイトハウスのリンカーン・ベッドルームで重ねていた秘密の密会がどんなものだったかって話でもするかね。メイミーが厚紙で作ったばかでかい誕生ケーキから無垢な乳搾りの娘の恰好で飛び出してきてさ、ヴィクターにいやらしい厩務員のふりをするよう哀願するとか。でその後連中は…

KC:もういいよ。十分だよ。あんた自分が何か分かってるのか?

JD:いいや。俺は一体何だね?

KC:あんたはファッキンクソ馬鹿野郎だよ。

JD:俺は馬鹿じゃないよ。俺は間抜けだ。大きな違いがある。

カラブロはガチャンと電話を切った。


信じるかどうか知らないが、この会話をここに採録したのには理由がある。ケヴィンが言うことにもそれなりに理はある。最近のわたしのライナーノーツは、ラサーンや、そのライナーノーツが載ったアルバムとはほとんど関係がないか、まるっきり無関係な内容になっているからだ。でも、それにもちゃんと理由はある。長年にわたり、わたしはラサーンに関して可能な限り真剣に書いてきた。しかし10本だか12本だかの基本的には同じ内容のライナーを書いて、わたしは同じ話を繰り返すのがイヤになってしまったんだ。

ギャーギャー泣く赤ん坊みたいにならずに、どうすれば三つか四つの同じことを何度も何度も言うことができるんだ?

ラサーンがまごうことなき不世出の天才だということに、なんでみんな気づかないんだ?

なんで評論家の連中は、ラサーンを大道芸人と決めつけたり、全く無視したりできるんだ?

いつになったら人々はラサーンの素晴らしさに気がつくんだ?

わたしが何を言ったって、物事を変えられるわけではないのは分かっている。変えられるのはラサーンの音楽のみだ。それが1977年にラサーンが死んで以来、数年ごとにわたしが彼の「ライヴ」パフォーマンスをリリースしてきた理由だ。

ゆっくりと、しかし着実に、ラサーンは正当な評価を得つつある。彼の真価からすればまだまだ足りないかもしれないが、少なくとも始まりではある。これはわたしを信じてもらいたいのだが、ラサーンは全てのジャズ・ジャイアントと同じレベルで語られるべき人物だ。いつかはそうなると、わたしには分かっている。そしてそうなるのを、ラサーン夫人のドーサーンとわたし、そしてラサーンがどのような人物で、かつてどのような存在であり、そして今なおどのような存在であるのかを本当によく理解している人々が見届けることができたらと願っているのだ。

別のときの会話で、ケヴィンはこんなことを言っていた。

「これがその人が初めて買うラサーンのアルバムだったらどうするんです?買った人はラサーンについて知りたいと思うはずですよ。彼がどんな人で、何をやって、どこ出身でとか。彼の人生をね」

そういう人たちにはジョン・クルースが書いたラサーンの伝記、「ローランド・カーク伝」を教えてやればいいとわたしは答えた。あるいはラサーンに関する情報を蒐集して管理している、ジョージ・ボニファチオへ連絡するよう言ってやればいい。彼らこそが、真に伝統を継承する者だ。

とにかく、音楽を楽しんでもらいたい。話はまたあとでね。

窓には灯りを

ジョエル・ドーン

2006年冬

P.S. さらにまた別のときの会話において、今ごろになって匿名を希望してきたある人物は、このアルバムはハンブルグで録音されたので、我々はこれを「ライヴ・イン・ジャーマニー」と名付けるべきだと主張した。わたしは彼に、わたしとしては「ブラザーマン・イン・ザ・ファーターランド」と名付けたいと言った。彼は狼狽した。「そんなのあまりにもナチ臭すぎますよ。みんな不愉快になりますよ」

「そうだな、もしみんな不愉快になるというなら、お前はプレスリリースでこう言ってやれよ。このときのライヴの観客の中にはヒトラーの二人の子供、双子のウィリーとリリーもいて、あんまりラサーンのショウに感動したので、飛び跳ねながら「ハイル・ラサーン!」と叫んでた、ってさ」

今回、さらに大きな音を立てて彼はガチャンと電話を切った。

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