詩人としてのボブ・ディラン
今年のノーベル文学賞はボブ・ディランが受賞した。そのうちもらうだろうとは思っていたが、現実になるとなんだか妙な感じですね。
もちろんディランは歌手としても優れているが、なにより卓越した詩人である。歌詞だって詩なわけです。詩は翻訳しにくい(というか、結局は原語で読む/聞くしかないと思う)ジャンルなので、ディランの詩の魅力というのは日本ではあまり知られていないような気がする。なにせキャリアが長いので仕事も膨大な量に上るが、その中から私が特に好きなものを3つだけ挙げてみたい。
神が味方(With God On Our Side)
初期の作品だと一般には「風に吹かれて」や「ライク・ア・ローリング・ストーン」あたりが有名だと思うが、私はそんなに好きではない。初期のディランのプロテスト・ソングは、単純に敵と味方を分けて敵を糾弾するだけに終わるものが多いのだが、その点この「神が味方」には深みがある。
良い訳詞があるので全体はそちらを読んで欲しいが、自分こそ正義で、自分の側に神がついていると信じて疑わない(キリスト教の)信仰深き人に、ディランはこう問うのである。
暗い闇の中で長い間
考え続けてきた
イエス・キリストが
キスによって裏切られたということを。
僕は君たちのために考えてあげられない
君たち自身が結論を出すのだ
神が味方していたかどうかを。
相手の論理を理解してぎりぎりまで追従し、その論理が破綻するところを衝く、というのが論破の本来の姿だが、ディランはこの歌詞で、それを見事に成し遂げていると思う。
あとまあ、たぶん、受賞の決め手はこの曲だったんじゃないですかね。昨今の世界の状況を顧みるに。
この曲は何度も録音されているが、初出はアルバム「時代は変わる」(The Times They Are A-Changin’)である。
ブルーにこんがらがって
自伝的な作品とされているが、時間軸がシャッフルされているのでストーリーは判然としない。しかしディランの性急な歌を聴いていると、それでもとにかくブルーにこんがらがってくるから不思議なものである。映画的というか、言葉に強烈な情景喚起力があるのでなんとなくイメージがつながってしまうのだ。これも優れた訳詞があるので、ぜひ全部読んでみてもらいたい。
こう言ってはなんだが、割と村上春樹的な世界ですね。まあ「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」にディランの名前出てくるけど…。
この曲も何度も録音されているが、個人的には1975年のローリング・サンダー・レビューのバージョンが好きだ。普段ジャズを聞いている私のようなものにも非常になじみやすい、躍動感あふれるライヴである。
マイ・バック・ペイジズ
日本語にして歌った人もいるが、難解というか、訳しにくい詩ではある(良い訳詞)。といっても、おおまかな意味をつかむのはそんなに難しくない。
ああ、だが私はかつてとても年老いていた
今の私はずっと若い
昔はこのリフレインの意味がよく分からなかったのだが、今は分かる。私も肉体的にはだいぶ老いぼれてきたのだが、10年前と比べるとはるかに自由に物を考えられるようになったような気がするからだ。とうとう自省心すら無くなってきただけかもしれないが。ともあれ、ふつうは若気の至り、とか言って済ますところを、いや今のほうが若い、とひっくり返すあたりはディランの才能を示していると思う。
この曲に関しては、ディランのオリジナルもいいのだけれど(収録されている「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」は私が最も好きなディランのアルバムでもある)、やはりキース・ジャレットのインストゥルメンタル・バージョンが素晴らしい。これはザ・バーズのアレンジを踏襲していると思うのだが、見事な換骨奪胎だと思う。
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