クロード・ウィリアムソン
最近このパターンばかりだが、クロード・ウィリアムソンが7月に亡くなっていたことを今ごろ知った。享年89。昨年2月に自宅の階段から落ちて以来、ついに再起できなかったようだ。
ウィリアムソンはウェスト・コースト・ジャズを代表するピアニストの一人だが、当人はウェスト・コースター扱いされるのを非常に嫌っていたと聞いたことがある。理由はよく分からないが、バド・パウエルに私淑していただけに(50年代の写真のいくつかを見ると、髪型やひげまでパウエルそっくり)、ウェスト・コースト・ジャズは軽佻浮薄だと思っていたのかもしれない。
ボストンのニューイングランド音楽院でクラシック・ピアノと和声学を学んだ(先生が当時としては珍しくジャズに理解のある人だったらしい)ウィリアムソンは、ロサンジェルスに移った1947年末からチャーリー・バーネットのオーケストラでピアノを弾くようになる。バーネットは現在ではほぼ完全に忘れられているが(裕福な一族の出だったので、1949年にあっさり引退してしまったため)、ジャズ・スタンダードとなったCherokeeを初めてヒットさせたのも彼だし、当時としてはビバップ寄りのアレンジとメンツを擁する先進的なオーケストラを率いていた。このバンドで、ウィリアムソンはフィーチャー曲のClaude Reignsをもらいヒットする(アレンジはマニー・アルバム)。まあ今の耳で聞くと、多分にスウィングのしっぽを引きずっているような気がしなくもないが、元気の良いソロではある。
ちなみにこれ、クロードが(鍵盤を)支配(reign)するというのと、クロード・レインズという当時人気があった俳優の名前を掛けているんですね。今知りました。ちなみに弟のスチュ(1933-1991)も優れたジャズ・トランペッターだった。
その後歌手ジューン・クリスティの伴奏と兵役を挟み、1953年からはライトハウス・オールスターズの一員として活躍する。結局今振り返るとウィリアムソンの絶頂期はその後の1954年から57年にかけてで、素晴らしいアルバムをいくつも残している。まず、いわゆるケントン・プレゼンツ・シリーズでキャピトルに吹き込んだ2枚が素晴らしい。今はThe Complete 1954-1955 Kenton Presents Sessionsとしてフレッシュ・サウンドから集大成版が出ている。
当時は「白いパウエル」などと呼ばれ、パウエルべったりという世評もあったようだが、改めて聞くとレパートリーもフレーズも和声付けもよく似ている(というかほぼコピー)ものの、やはりパウエル流の重厚な音世界とは無縁で、軽く鮮やかなキーさばきが目立つ。ハンプトン・ホーズあたりと比べても軽やかですよね。
この時期にはサイドマンとしても実績を残していて、アート・ペッパーやバド・シャンクのピアニストとしての活躍も有名だ。
その後1956年から57年にかけてベツレヘムに録音したのが有名な二枚で、これも様々な形で再発されている。
どちらも甲乙付けがたい、テクニックもアイデアも冴え渡る絶頂期と言うにふさわしい名演だと思う。ウィリアムソン自身は前者を自己ベストに挙げていたが、個人的には後者のほうに愛着がある。というのも、大昔小学生のころ、近所の図書館にあった数少ないジャズCDの一つがこれで、カセットテープにコピーして何度も何度も聞いたので大体覚えてしまったのである(今でも頭の中で再生することができる)。実質的に、私が初めて聞いたジャズ・ピアノなのだ。まあそんなプライベートな事情は置くとしても、良い演奏です。
この後1958年にジェリー・マリガンの作品集であるMulls The Mulligan Sceneというのを発表するのだが、ピアノの多重録音に挑戦していたりして悪くはないものの、それまでのわしにはバドしかないんじゃというような開き直った勢いには欠ける。このあたりから、パウエル派というよりは、いかにもウェスト・コースト的な趣味の良い白人ピアニストという色が強まっていったように思う。
さらに60年代に入ると、シナトラ愛唱歌集と言えるThe Fabulous Claude Williamson Trioという作品を吹き込んでいて、日本では割と人気のある一枚だと思うのだが、個人的にはやや淡泊で物足りない。録音(特にドラムス)が良く、内容も悪くないアルバムなんですけどね。
その後60年代後半から70年代にかけては映画音楽やテレビの世界でスタジオ・ミュージシャンとして忙しく働いていたようで、ジャズ・ピアニストとしての足跡はぱったり途絶える。1977年に妙中俊哉氏が運営するインタープレイ・レーベルから復帰盤を出し、その後は比較的晩年に至るまでコンスタントに新作を発表していた。特に目立つテクニックの衰えはなかったように思うが、内容的にはよく言えば余裕のある、悪く言えばイマジネーションに欠けるというか、やや凡庸なプレイが多かったように思う。少なくとも、昔日の颯爽たる爽快感は得られることは少なかった。
これはおそらくメンタルの問題で、晩年もボサノヴァなどちょっと毛色の変わったレパートリーを取り上げると、緊張感のある演奏になることがあった。不思議なものですね。
結論として、パウエル・フォロワーだったころの演奏が一番良いという、ある意味残酷な話になってしまったのだが、おそらく何事も、生涯ベストをたたき出せる時期というのは限られているのだろう。その時期に優れた演奏をきちんと残すことが出来たウィリアムソンは、幸運なピアニストだったように思う。
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