さらに「Baby, It's Cold Outside」を巡って

イスラーム原理主義の「道しるべ」

「Baby, It’s Cold Outside」というアメリカのクリスマスの定番曲があるのだが、その歌詞がラディカル・フェミニストの目の敵にされ、ラジオ等で放送自粛になっているという話を先日ブログで書いた。書きたいことはそこで一通り書き尽くしたのだが、その後ちょっと違ったアングルで面白い話を聞いたので、もう少し書いてみたい。

QUARTZの記事で知ったのだが、今を去ること70年近い1950年、現代のフェミニストと同様、この曲を聴いて悲憤慷慨するエジプト人がいたのである。その名をサイイド・クトゥブという。

当時のクトゥブはエジプトの教育省に勤める若きエリートで、2年間に渡りアメリカに留学し、コロラド州の大学でアメリカの教育システムを学んでいた。しかし、保守的なイスラム教の伝統を血肉としたクトゥブは、軽佻浮薄なアメリカ文化が気に入らない。帰国後発表した「私が見てきたアメリカ(The America that I Have Seen)」で、クトゥブはスポーツから床屋に至るありとあらゆるアメリカの文物に腹を立てているのだが、その一つとして、なんとあの曲に言及しているのである。

(この曲は)夜のデートにおける少年と少女の会話だ。少年は少女を彼の家に連れて行き、少女を帰らせないようにする。少女はもう遅いし母親が待っているから家に帰らせてくれと懇願するのだが、彼女が言い訳をするたびに、少年はこう返すのだ。でもね、外は寒いよ。

歌詞の文脈やニュアンスを理解せず、機械的な言葉狩りに堕してしまっている現代のフェミニストと違い、少なくともクトゥブは歌詞をちゃんと理解している。独特なのは解釈である。

少女は拘束されているわけではないし、外形的には自由である。しかし少年の甘い言葉にそそのかされ、家族や規範を裏切って自分の利己的な欲望に負けてしまい、結局家に帰ることができない。

自由なのだが、自由ではない。クトゥブはこの二人の関係に、アメリカ的退廃の本質を見いだしたのだった。そこで、西洋文明がもたらす偽りの自由を捨て、シャリーア(イスラム法)に基づく社会を目指すことが真の人間解放につながる、とクトゥブは確信したらしい。

エジプトに戻ったクトゥブは役人を辞め、旺盛な執筆活動を行うと同時にムスリム同胞団へ身を投じる。ナセル大統領の暗殺未遂事件に巻き込まれたクトゥブは逮捕され、紆余曲折の末1966年に処刑されるが、彼の著作はその後も広く読まれ、後続のイスラム原理主義者に強い影響を与えた。その中には、オサマ・ビン・ラディンやアイマン・ザワヒリといった、アルカイダの主要メンバも含まれる。ザワヒリは、「クトゥブ主義を行動に」をモットーとしていたという。

なので、まあ、大げさに言えばですな、Baby, It’s Cold Outside がイスラム原理主義を生み、アルカイダを生み、アメリカ同時多発テロを生んだわけですよ。あんな曲がねえ。

ラディカル・フェミニストとイスラム原理主義者という両極端に嫌われるクリスマス・ソング、というのも面白い存在だが、それは結局のところ、あの曲が極めて人間的な喜び(と情けなさ)を歌っているからなんでしょうね。

comments powered by Disqus