Lighthouse '68 / The Jazz Crusaders

前回の続き。タイトルから「ライブ・アット」すら無くなったライトハウスでのライヴ録音第3弾である。セルジオ・メンデス& ブラジル'66 とか、このころ「場所 ‘年」みたいなのが流行ったような気がするが、何の影響だったんだろう。

例によってベーシスト以外はメンバは代わっていないのだが(今回のベースはバスター・ウィリアムス)、時代の流れか録音のせいか、音楽的こってり具合が増しているような気はする。そもそもジャズ・クルセイダーズはトランペットがいなくてトロンボーンとテナーの2管という主流派ジャズにしては少し珍しい編成なのだが、腰を据えて低音をぶりぶり効かせるスタイルとよく合っている。

すでに1968年でソウル・ミュージックやビートルズの影響は無視出来ないものになっていたと思しく、冒頭のブーガルー、2曲目はエリナー・リグビーと売れ線への目配りも抜かりない(この2曲のカップリングでシングル盤も出しているようだ。相当売れてたんだろうねえ)。バンドメンバによる他のオリジナル曲もなかなか良いが、参加したばかりのバスター・ウィリアムス作The Emperorは、アート・ブレイキーの1969年のニュージャージーでのライヴ(ウディ・ショウが吹き倒していることで有名)ででUnknownとされている曲ですね。50年以上も誰も気が付かなかったのかしら?たぶんエンペラーというのはエチオピア皇帝のハイレ・セラシェのことなんでしょうけど。

こうして年代順に聴いていくと、一番成長したというか化けたなあというのがジョー・サンプルで、このあたりで完全開花というか、ファンキーなのだが泥臭くない独特のクールな和声感覚が確立されている。体質というか育ちで自然とファンキーなのではなく、楽理的に分析しつくして後天的に身につけたブラックネスという感じで、どことなくジャズ・ピアニストをやっていたころのジョー・ザヴィヌルっぽい。一方でザヴィヌル同様、もうこの人は伝統的なジャズに留まっているタマじゃないなと感じられるところもあり、それが1970年代以降のフュージョンでの活躍につながっていくのだろう。私はあんまり意識していなかったが、70年代以降のジャズ・ピアニストへのサンプルの影響というのは実は無視できないような気がしますね。

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