志ん生の「富久」
寒い大晦日に聞きたくなるものと言えば、五代目古今亭志ん生の落語「富久」である。
志ん生は八代目桂文楽と並ぶ昭和の名人と称され、2019年のNHK大河ドラマ「いだてん」ではビートたけしや森山未來演じる狂言回しとして登場していたが、「富久」は「火焔太鼓」や「替り目」などと並ぶ志ん生の得意演目の一つだった。
ある年の暮れ、酒で失敗を重ねて江戸中のお得意を失った太鼓持ちの久蔵が、なけなしの銭をはたいて買った当たれば千両の富くじを神棚に供える。その夜、かつてお得意だった日本橋の大店のあたりで火事が出たと聞いた久蔵は駆けつけて避難を手伝い、店の旦那に感謝されてまた出入りがかなうことになる。ところが、今度は久蔵の家の近くで火事が出たとの知らせがあり、慌てて戻るが久蔵の長屋は全焼して灰になっていた。
数日後富くじの抽選が行われ、久蔵は自分が買った「鶴の千五百番」が大当たりであることを知る。しかしくじを供えた神棚は長屋ごと燃えてしまった。絶望しながら家に帰ると近所の鳶の頭に出くわし、火事の夜、頭が神棚を持ち出して避難させておいてくれたことを知る。喜びのあまり半狂乱になる久蔵。
希望と絶望が激しく錯綜し、地理的にも浅草と芝の間(8kmくらいあるので設定としては無理があるけど)を久蔵が駆け回る振幅の激しいストーリーで、メリハリを重視した志ん生にはうってつけの大ネタである。
志ん生は今でも人気があるので膨大な数の音源が出ているが、「富久」は十八番の割に現存する録音が少なく、4つだけだ。
- 1953年10月29日、神田立花演芸場で録音
- 1957年12月6日、ラジオ京都等で放送(新宿末広亭で収録、録音日不詳)
- 1958年12月27日、ニッポン放送で放送(親子リレー落語)
- 1963年12月29日、東横落語会で録音
このうち、1958年の録音は志ん生の息子たち、古今亭朝太(のちの志ん朝)と十代目金原亭馬生とのリレー落語で、貴重だが余興の域を出ない。
1963年のは、1961年の暮れに脳卒中で倒れて復帰した後のいわゆる「病後」の録音で、半身不随の影響でろれつが怪しいので、志ん生のベストとは言い難い。大昔クラウンから出て物議を醸した「五代目古今亭志ん生ベスト・コレクション」の一枚として発表されたことがあるが、それっきりなので今となっては入手も難しいだろう。
というわけで一般には1957年の録音がよく知られているが、好事家に知られているのは1953年、神田立花での録音で、古い録音なので音質はあまり良くないが、立川談志は「絶品」と呼んだ。どちらも当時電通のプロデューサーで、後年歌舞伎など古典芸能の評論家として活躍した小山觀翁が録音したもので、特に1953年のは、まだ暮れでもないし元々違う演目をやるつもりだった志ん生に小山が頼んで「富久」をやってもらったらしく、おまけに結局ラジオ放送されなかったといういわくつきの音源らしい。出囃子が無く拍手からいきなり落語に入るちょっと不思議な録音なのだが、ダイナミックな志ん生の真価が遺憾なく発揮された一世一代の名演である。昔講談社から出た「志ん生復活! 落語大全集 第1巻」という DVD ブックを除けば、とうの昔に完売のCD付き マガジン でしか手に入らないという厄介なものなのですが…。
談志 その小山さんが仕事で録ったのも残ってるんだよね。
小山 そうそうそう。
談志 それが絶品の『らくだ』であり 『富久』 であるわけですよ。
小山 ええ。あの『富久』はすごいでしょ。
談志 あれァすごいな。
(中略)
小山 そのテープは、立花の最後の芸術祭のときのものなんです。
川戸 ほう。
小山 そのときの演し物はねェ、別のものを志ん生さんが演るつもりでいたン。だけども、あたしが『富久』が好きだったもんでね、『富久』に変更して録ったんです。
(川戸貞吉編「対談落語芸談 PART2」 pp.7-8)
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