ジャズのロスト・レコーディングに関するメモ

ジャズは今も昔もあまり売れない音楽で、マイナー・レーベルや自主制作でのリリースが多く、流通量が極端に少ないものもあった。中には内容は悪くないのに現物が全く見当たらないというようなものもあり、そういうのが「幻の名盤」として有り難がられたわけである。とはいえ、今となっては一度でも市場に出た音源であればほぼ全てがCDなりデジタル配信なりで再発されているので、希少性という意味での有り難みは大分薄れている。たまにAmazon等で検索してみると、えっというようなものが知らない間に配信オンリーで再発されていたりする。

問題はブートレグを含めて一度も市場に出たことが無い音源で、ディスコグラフィの編纂をやっているとその種の情報にぶつかることがある。まあ、お蔵入りしたセッションには大体それなりの事情があって、いざ聞いてみたらがっかりということも多いのだが、先日書いたコルトレーンの未発表音源やブルーノートの未発表もののように、同時期の正規盤よりも内容が良いということもたまにはあり、妄想は膨らむばかりなのである。

そんなわけで、その種のロスト・レコーディングについてメモ程度に書いておく。思い出したら追記する予定。

コルトレーン、ドルフィー & ウェス

1961年9月22日のモンタレー・ジャズ・フェスに登場したジョン・コルトレーン・セクステットは、エリック・ドルフィーに加え、なんとウェス・モンゴメリーが参加という特異な編成だった。My Favorite Things、Naima、So WhatからImpressionsのメドレーという、いつものコルトレーン定食を長尺で演奏したらしく、写真やコンサート・レビューも残っているのだが、なぜか音源が一度も出てこない。コルトレーンとギターの相性の良さはケニー・バレルとの共演(Kenny Burrell & John Coltrane)で証明済みだし、ウェスのほうもスタイルこそ違えコルトレーンを尊敬していたらしく、晩年はImpressionsなどコルトレーンの曲をレパートリーに入れて盛んに演奏していたので、案外かみ合った演奏になったのではないか。

コルトレーンに関して言えば、今のところラスト・ライブ・レコーディングとして有名なOlatunji Concert(1967年4月23日)の後、5月17日にメリーランド州ボルチモアのジャズ鑑賞団体「レフト・バンク・ジャズ・ソサエティ」主催のライブに出演したという記録がある(Baltimore Sunの記事)。体調の悪化で本当は出演していないという説もあったのだが、どうやら出演はしたらしく、しかし詳細は相変わらずよく分からない。この団体主催のライヴは大体録音されていたはずなので、こちらも聞いてみたいものである。コルトレーンは肝臓癌で7月17日に亡くなっているので、残っていれば死のちょうど二ヶ月前の録音ということになる。ちなみにOlatunji Concertに関しては以前も書いたが、わたくしの心の支えである。音質はどうしようもないけど。

ドルフィー・ラスト・レコーディングの残り

最晩年のエリック・ドルフィーというと、1964年6月2日録音のLast Dateが有名だが、実際にはその後のレコーディングも存在する。ドナルド・バードやネイサン・ディヴィスを含むセプテットでの6月11日の録音で、かつては「Unrealized Tapes」というタイトルで出回っていたが、今ではLast Recordingsとして知られている。ドルフィーが糖尿病で急死したのは6月27日なので、死のほぼ1ヶ月前の録音ということになる。ジャズ的なスリルという点ではLast Dateの圧勝だが、いつものレパートリーに加え、それまでとは全く作風の違う(かつてのパートナー、ブッカー・リトルのスタイルに似ていると思う)新曲もあり、ドルフィーがどのような方向に向かおうとしていたのか、想像力を喚起させられるような内容ではある。

この録音を仕切ったのはフランス人ピアニストのジャック・ディーヴァルという人で、公表されたもの以外にもかなりの量を録ったらしいのだが、ディーヴァル自身の作品をCBSから発表しない限りテープを渡さないとごねたらしく、それっきりになってしまった。ディーヴァルは2012年に亡くなっていて、テープの所在が良く分からないのだが、おそらく彼の家にあるんじゃないですかねえ。

オーネット・コールマンのタウンホール・コンサートの残り

オーネットが(仕事が無くて)一時的な引退に追い込まれる直前に自主興行した、1962年12月21日のタウン・ホール・コンサートは、ESPからTown Hall 1962として一部が発表されたが、実は相当量の残りテープが存在する。というか、元々ブルーノートからBN4210、BN4211として二枚出るはずだったのだが、契約関係でもめたらしく、それっきりになってしまったのである。この経緯は羅生門状態といいますか、人によってみんな言うことが違うのでさっぱり分からないのだが、私の印象としては、たぶん自腹でコンサートを開き録音も手配したのに、吹雪やストで全然客が来なくて赤字を抱えたオーネットがESPとの約束を反故にし、ブルーノートに売ろうとして失敗したのではないかと思う。

ESP盤に収録されたのはDoughnut、Sadness、Dedication to Poets and Writers、The Arkの4曲だが、ブルーノートから出ていれば、Vol. 1であるBN4210にはChildren’s Book、Storyteller、Play It Straight、I Don’t Love Youの4曲が、Vol.2であるBN4211にはThe Ark、Sadness、Architecture(Architectとしている資料もあり、後年のArchitecture In Motionの原型? )、Dedication To Poets and Writers、Taurusの5曲が収録される予定だったという。DoughnutとSadnessは後年も演奏された曲だが、他は不明。Dedication~はストリング・カルテット、Taurusはデヴィッド・アイゼンソンのベース・ソロのようだ。

テストプレスは行われ、テスト盤を持っている人もどうやらいるらしいのだが(私は写真だけ見たことがある)、マスター・テープは行方不明で、生前のオーネットもどこにあるか知らないと語っていたような記憶がある。まあ、たぶんオーネットの家のどこかにあるんじゃないかと思うが…。本編も良い演奏だが、オーネット・トリオと前座のR&Bのギタリスト、ナッピー・アレンのトリオが一緒にBlues Misused(Broadway Bluesの原型というか、ようするにいつものあの曲ですよ)をやったというのを聞いてみたい。

ちなみにこのTown Hall 1962は村上春樹のフェイヴァリットだそうで、ポートレイト・イン・ジャズに言及がある。

この演奏はところどころでいささかの無理を含んでいるし、テンションもけっこう高めにセットされているのだが、にもかかわらずそこには不思議に人の心をトランキライズする太い流れが一本とおっている。そして次から次へ溢れ出てくるオーネット独特の音塊の中に、チャーリー・パーカーの真に革新的なー同時にまたナチュラルなー魂の影のようなものを僕は認めて、なんとなく嬉しい気持ちになってしまうのだ。

確かにそういう演奏だ。

1954年のセロニアス・モンク・トリオ

あまり話題にならないが、近年セロニアス・モンクの未発表録音がちょこちょこ出てきて驚かされる。以前ブログで言及した映画「危険な関係」のサウンド・トラック、Les Liaisons Dangereuses 1960が去年ひょっこり出てきたことにも驚かされた(プロデューサーの家にテープがあったらしい)が、1944年のソロ・ピアノ(‘Round About Midnightのたぶん初演だと思う)が発掘されたのもたまげた。デンマーク出身の男爵でジャズのパトロンだったティム・ローゼンクランツのコレクションからで、Timme’s Treasuresに収録されている。

それはともかく、モンクは1954年に渡欧し現地で初のソロ・ピアノ作「ソロ・オン・ヴォーグ」を録音したのだが、同時にピアノ・トリオでも録音したという記録がある。1954年6月1日と3日に、Jean-Marie Ingrandのベース、Jean-Louis Vialeのドラムスという編成でかなりの量を録音したらしいのだが(ラジオ向け?)、日の目を見ていない。ソロを録音したのが1954年6月7日なので、トリオでやったらうまく行かなかったのでソロにした、ということだったような気もするのだが、どこにいってしまったんですかねえ。

セロニアス・モンクと言えば、チャーリー・パーカーとのライヴでの共演は、1948年7月11日にパーカーのレギュラー・バンドに飛び入りした際の1曲がひどい音質で残っているだけなのだが、1953年にクラブ「オープン・ドア」で共演した際の写真は残っている。奥さんのチャン・パーカーが同時期に同じ店でテープレコーダーで録った音源(Complete Bird At The Open Door)が残っているので、このときの録音も残っているのではないかと思うのだが。

ケニー・ドーハムのジャズ・プロフェッツ VOl. 2

Blue Bossa等の作曲でも有名なトランペッターのケニー・ドーハムがごく短期間率いたリーダー・バンド、ジャズ・プロフェッツには、独特のすがれた雰囲気があって、ハードバップの知られざる名バンドだと思う。このバンドのスタジオ録音は後年CTIで名を挙げるクリード・テイラーのプロデュースで、素晴らしい内容なのだが、でかでかとVol. 1と銘打っているくせに続きが出なかったのである。

ではVol. 2は本当に無いのかというと、実は録音は行われたらしい。1956年7月19日に411 West、Gone With The Wind、Nothing Ever Changes、Yardbird Suiteの4曲が録音されたという記録があるのだが、その後どうなったかは不明。メンバーだったJ.R.モントローズはこちらのほうが最高傑作と語っていたらしいが、まあ往々にしてミュージシャンは、記録が残っていないほうを最高と言ったりするので…。

アル・ヘイグのソロ・ピアノによるフォーク音楽集

このあたりから、実在が怪しい噂話レベルとなる。天才バド・パウエルをして「理想のピアニスト」と言わしめたアル・ヘイグだが、60年代は奥さんの殺人疑惑やらなにやらあり不遇だった。そんな中、1961年にズート・シムズ=アル・コーンの傑作Either Wayをプロデュースしたことで知られるフレッド・マイルスという人の自主制作でソロ・ピアノを吹き込んだらしいのだが、今だに出てこない。噂ではフォーク・ミュージック集らしいのだが、ヘイグはたまにオスカー・ブラウン等のフォーキーな曲をやることもあったので、なかなか良い演奏だったのではないか。

ハービー・二コルスのベツレヘム録音

鬼才ピアニストのハービー・ニコルズは、なにせ残っている録音の絶対数が少ないのだが、そんな中ベツレヘム・レーベルに6曲の未発表録音があるという話がある。おそらく「Love, Gloom, Cash, Love」の別テイクなのだろうが、いつか日の目を見てくれるとうれしい。

また、ニコルズに関して言えば、カフェ・ボヘミアで幕間にソロ・ピアノを弾いていたらしく(写真が残っている)、録音はまあ無いだろうけど、残っていたらぜひ聞いてみたい。

エルモ・ホープのドーントレス録音

厳密にはフィリー・ジョー・ジョーンズのリーダー作なのだが、1963年9月にDauntlessというレーベルで録音されたらしい。曲目は不明だが、ジョン・ギルモアのテナー、トミー・タレンタインのトランペット、チャールズ・グリーンリーのトロンボーン、エルモ・ホープのピアノ、ラリー・リドリーのベース、そしてフィリー・ジョーのドラムスというなかなかそそられるメンツで、エルモの傑作「Sounds from Rikers Island」と似たメンツである。ということは、あれと同じくクスリがらみでライカーズアイランドの刑務所に入った経験のある人を集めるというコンセプトではないかと思われるが、なんとか日の目を見せたいものである。

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