フレディ・レッド

ジャズ・ピアニストのフレディ・レッドが亡くなった。享年92。

1928年生まれということはケニー・ドリューやジュニア・マンスと同い年で、マル・ウォルドロン(1926年生まれ)やソニー・クラーク(1931年生まれ)あたりとも同世代と言える。ようするに、1950年代のモダン・ジャズというかハードバップ全盛期を彩ったピアニストの一人だ。

その割にジャズ・ピアノ好きが多い日本においても知名度は比較的低いと思うが、最大の理由は、参加作も含め単にアルバムの枚数が少ないからだと思う。そしてもう一つの理由は、別に下手というほどではないんだが、ピアニストとしてはやや地味というか、目立たないタイプだったからかもしれない。バド・パウエルに範を取った王道バップ・ピアノではあるのだが、あまりテクニックをひけらかすスタイルではなかったとは言えるだろう。

その一方、レッドはジャズ史上屈指の作曲家であり、メロディ・メーカーだった。彼の特異な才能が分かりやすい形で記録されているのがブルーノートに残した3枚で、特にオフ・ブロードウェイの演劇「ザ・コネクション」の劇伴音楽として書かれたThe Music From “The Connection"は、ジャッキー・マクリーンの迫力あるアルトサックスが光るハードバップの名盤だと思う。

Music From the Connection

薬物中毒者を扱ったこの劇はそれなりに評判を呼んだようで、1959年から2年間のロングランとなり、1961年には女性監督のシャーリー・クラークによって映画化された。私はひどい画質のDVDを持っているが、最近ではBlu-rayで入手できるようだ。舞台にも映画にもマクリーンやレッドらが出演し、演奏を披露している。

Connection / [Blu-ray]

ブルーノートでの2作目がShades of Reddで、マクリーンに加え黄昏テナーで知られるティナ・ブルックスまで入っている。The Connectionのサントラとは甲乙付けがたい出来としか言いようがない。なんでこういう暮れなずむマイナーなメロディが書けるのかなあという…。少なくとも私には全く浮かばない世界である。だから聞く価値があるわけだが。

Shades of Redd

ブルーノートへの3枚目は後年になるまで未発表で、比較的最近になって最初はMosaicのボックスセット、次いでRedd’s Bluesとして単品CD化された。前の2作よりは雑で、お蔵入りしたのも分からなくはない出来だが、それでも卓越したメロディ・メーカーぶりには変わりない。

Redd's Blues

ちなみにThe Connectionのサントラと言えば、ハワード・マギーをリーダー格に全然別のメンツで別のレーベルに吹き込まれたアルバムもあり、なぜかレッド自身もI. Chingという変名で参加している(再発CDのジャケには名前が載っているようだ)。なぜ易経?という疑問もあるが、そもそも契約的にこういうことしていいんですかねえ(笑)。出来はブルーノート盤に及ばないと個人的には思うが、ティナ・ブルックスも入っているし、聞き所が無いわけではない。一応Spotifyにもある。

(Music From) The Connection

レッドはピアニストとしては異例なほど晩学だったようで、ピアノを本格的に練習しはじめたのは18歳のことだったという。兵役を挟んでタイニー・グライムスのバンドに参加し、1955年には初リーダー録音を経験する。このときの音源はなぜかハンプトン・ホーズとカップリングされて出ているが、ひとひねりした作曲とあまり後年と変わらないピアノのスタイルはすでに確立されている。

Piano: East/West

その後はアート・ファーマーやジーン・アモンズのプレスティッジ盤でサイドを務め、渡欧。1956年にはスウェーデンで一連の録音を行い、一部はIn Swedenやトミー・ポッター名義のTommy Potter’s Hard Funk等で聞ける。特に後者はベーシストのリーダー作ということもあってか全く話題にならないが、レッド以外もなかなかの熱演を披露していて、私自身はハードバップの隠れ名盤の一つだと思っている。曲もタイトルこそ違え実はThe Connection由来の曲だったりして…。

IN SWEDEN

TOMMY POTTER'S HARD FUNK

帰国後はサンフランシスコにしばらくいたらしく、当地の風景を組曲仕立ての音楽で綴ったのがSan Francisco Suiteである。地味だがレッドの作曲による情景描写力が遺憾なく発揮されていて、聞き飽きのしない一作だ。私も先年しばらくサンフランシスコにいたときよく聞いていた。

San Francisco Suite

このあと60年代初頭は先に紹介したブルーノートへの吹き込みが続くが、その後録音的にはぱったり足取りが途絶える。どうやらメキシコやスペイン、パリ、ロンドンなど世界各地を放浪していたらしいのだが、1971年にパリで吹き込んだUnder Paris Skiesはほぼ10年ぶりの録音で、これまた名曲揃いのピアノ・トリオの名品だ。ここでのレッドの切々としたソウルフルな演奏には唯一無二の魅力がある。。おそらくレッド生涯の最高傑作だろう。かつては希少だったそうだが、CD化もされたしSpotifyにもあるのでぜひ聞いてみてください。

Under Paris Skies

レッドは自発的ホームレスというか、どこかに自分で家を構えるということが晩年までなかったようで、チャーミングな人柄もあってか知り合いの家に長く居候していたそうな。その一人がウォルター・アーバンというベーシストで、アーバンの義理の息子が誰あろうレッチリのフリーなのだった。フリーは子供のころ家にいるレッドが演奏するのをよく見ていたようで、レッド逝去の報を受けて彼が心のこもった哀悼をInstagramに書いていたのは、そういう事情による。

なんてこった、偉大なフレディ・レッドが亡くなってしまった。彼は並外れたピアニストで、ハードバップ時代の大物の一人だった。子供のころ、彼はうちにしばらく住んでいて、わたしは彼が本当に好きだった。畏怖していたとも言える。ピアノの近くに座って彼が練習するのをよく聞いていたが、完全に魅了されたものだ。いま彼のアルバム「ザ・コネクション」を聞いているが、彼のディープでファンキーなソロがリヴィングルームを飛び交って、いつものように魔法をかけてくれる。フレディよ永遠なれ。安らかに。

その後また間隔が開いて、70年代末には日本人の妙中俊哉が運営するInterplayレーベルに2枚録音している。一枚はトリオによるStraight Aheadで、もう一枚がピアノ・ソロに挑戦したExtemporaneousだが、どちらも佳作ではあるけれど、前者はこの時期ならではの音作りというか、ベースやドラムスの録り方に違和感があり、後者は貴重だけれど、正直レッドにはピアノ一本で勝負というよりは、せめてピアノ・トリオ、できればホーン入りでやって欲しいという気持ちはある。ちなみに前者には「On Time」、後者には「I’m Sorry(確か原題は Gomennasai)」という曲が入っているが、どうもレッドという人は天才肌というか、レコーディングを遅刻したりすっぽぬかしたり、あるいは所在不明で連絡が取れなかったりというのが日常茶飯事で、プロデュースするのがなかなか大変だったようだ。

ストレート・アヘッド

エクステンポレイニアス+1

そんなこともあってかこの後もまた間隔が開き、次のレコーディングは80年代以降である。伝説のアルトサックス奏者クラレンス"C"シャープが入っていたり、メンツ的におもしろいのは89年にUptownから出たLonely Cityだが、アレンジを職人ドン・シックラーがやっているせいか、今ひとつ雰囲気がフツーというかたそがれ感が薄いのが残念。

Lonely City

アル・マッキボンのベース、ビリー・ヒギンズのドラムスという今までより一段格上の名手を擁したピアノ・トリオのライヴがLive at the Studio Grillだが、このころからレッドのピアノは従来よりもさらにスローモーというか訥々というか、覇気がなくなってきた感は否めないと思う。この曲なんかは比較的ましだが…。

Live at the Studio Grill

そういう意味でおそらくレッド最後の傑作と言えるのは、1990年のEverybody Loves A Winnerではないかと思う。作曲も冴えているし、演奏も申し分ない。そういうのに限ってYouTubeにもSpofityにも音源が無くて薦めづらいわけですが…。

Everybody Loves a Winner

このあと、2010年代に入って(ということはレッドはすでに80台後半)突然新録の新譜が2枚も発表され驚いた。ピアノ・トリオのほうはやや指がおぼつかない感じだったが、結果的に最終作となったホーン入りのWith Due Respectはかつての名曲も再演していて演奏の密度も高く、レッドの人生を締めくくるにふさわしい佳作となったように思う。

WITH DUE RESPECT

フレディ・レッドを聞いていて改めて思うのは、ジャズにおける個性の重要性だ。レッドはピアニストとしては限界があったかもしれないが、作曲家としては豊かな才能があり、それを支えるのに必要なだけのテクニックは十分にあったし、何より強固なスタイルがあった。こういう人は、ジャズではもういなくなってしまったように思う。現代ジャズの、特にピアニストの多くは皆学校仕込みの優れたテクニックや楽理の知識を持っているが、奏法や楽想、あるいは作曲の面でも個性を失っている、というのが私の率直な意見である。まあそうでもないと仕事がない、というシビアな事情もあるのだろうけれど。

超絶技巧の類が凄いのは言うまでもないが、それはあくまで自分の延長線上にあるというか、実際には無理にしても、死ぬほど練習すればいつかは追いつけるような気がする。しかしレッドのような個性は根本的に方向がずれているので、追いつこうにも追いつけないし、常に新鮮な驚きがある。そういう人が一人でも増えるといいのだが。

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