City of Glass / Stan Kenton Plays Bob Graettinger

「シティ・オブ・グラス」と言われるとポール・オースターニューヨーク三部作を思い浮かべる人も多いだろうが、これは音楽の話である(オースターは知っていたのかしら?)。

スタン・ケントンはハードコアなジャズ・ファンにはどこかバカにされているところがあるが、1940年代から50年代にかけては強力なメンツを揃えたオーケストラを率いて良く売れていた。昔も今も売れている人にしかできないことというのがあって、それは冒険である。売れ行きを気にせず実験作、問題作を放つことが出来るのは売れっ子の特権だ。

大手音楽レーベル・キャピトルの庇護の下、ただの娯楽音楽ではないシリアスでプログレッシヴな音楽をやるのだ、とぶち上げたケントンが見いだしたのがボブ・グレッティンガーだった。彼らのコラボレーションは1947年12月、グレッティンガーが持ち込んだ「テルモピュレ」(Thermopolae、綴りが微妙に違う)をケントン・オケが録音したときから始まるが、グレッティンガーは1923年生まれなので1947年時点では弱冠24歳ということになる。

音大を出たというわけでもない一サックス吹きに過ぎなかったグレッティンガーだが、図形譜なども駆使した彼の作曲とアレンジには、今聞くと奇妙に新しさと古さが入り交じった面白さがある。古さはこの種の音楽スタイルが(特に映画音楽など)主流の商業音楽に吸収されて今となっては当たり前になったからだろうが、それに留まらない新しさが未だに宿っていることに驚かされる。確かにグレッティンガーには才能があったのだ。弦楽器や不協和音を大胆に導入しているのでいわゆる現代音楽ぽさはもちろんあるが、よく聞くとグルーヴというか案外ジャズっぽいところもあって、個人的にはガンサー・シュラーが後年やったようないわゆるサード・ストリームものより面白い。

よく分からないが何かものすごそうなグレッティンガーの図形譜。

この後もグレッティンガーは様々な曲やアレンジをケントンに提供するが、頂点は4部から成る大作「シティ・オブ・グラス」(City of Glass)だろう。「ガラスの街」という美しいタイトルが、当時発展著しいニューヨーク・シティのイメージを想起させるトーン・ポエムである。ヴォーカルの伴奏もいくつか書いているが、こんな得体の知れないアレンジなのに朗々と歌い上げるジューン・クリスティの力量が窺えておもしろい。

ケントンは自分のバンドを「イノベーションズ・オーケストラ」と銘打ってグレッティンガーの曲をライヴでも果敢に演奏していたが、さすがに大赤字を垂れ流すだけだったので間もなくダンス音楽への回帰を余儀なくされた。ケントン関係者、あるいは当のケントン自身も最後の最後まで今ひとつグレッティンガーの音楽の価値を掴みかねていたようだ。Wikipediaの項目で紹介されていた、ケントン・オケのトランペッター、バディ・チルダースのコメントがおもしろい。

チルダース「こういう音楽を楽しめる知的能力を持っているかどうかという話なんだ。持っていなければゴミに聞こえるだろうね」 インタビュアー「あなたはどう思うんですか」 チルダース「ゴミだと思うよ」

グレッティンガー自身はある種の変人で、一人家に閉じこもって昼夜逆転の上タバコとコーヒーに浸りながら覚醒剤をたしなむといった生活だったらしく、1957年、33歳の若さで肺がんで死んでしまったそうである。もう少し長生きしていれば、早々にジャズ・ピアニストを辞めて作曲に専念したメル・パウエルのように、むしろ現代音楽の方面で名を成したかもしれない。

というようなケントンとグレッティンガーの共同作業の成果を集めたのがこのアルバムで、こういうのはまさに音楽配信の有り難みですね。さすがに単品で買ってまで手を出そうとは思わないから…。あとは自分で聞いて確かめてみてほしい。

ところでチャーリー・パーカーは

「ジャズでは、ケントンの曲が一番良かった」「アルトをフィーチャーしていたやつ。ジャズでは、ケントンの曲が一番クラシック音楽に近いと思う。あれをジャズと呼ぶのであればね」(ウォイデック「チャーリー・パーカー モダン・ジャズを創った男」)

と述べていたが、この「アルトをフィーチャーしていたやつ」というのが長年疑問だった。これ、かなり高い確率で「テルモピュレ」のことだと思うんだよな。途中で出てくる力強いアルトサックスの咆哮が気に入ったのではないか。ラテン趣味も含めて、特に晩年のパーカーは案外ケントンに影響されていたように思う。

City of Glass

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