フィリー・ジョー・ジョーンズの最近出たエアチェック音源2つ

フィリー・ジョー・ジョーンズというとマイルス・デイヴィスやビル・エヴァンスが最も愛したドラマー、ハードバップ黄金期の名サイドマンという印象が強いが、リーダーとしてグループを率いなかったわけではない。というわけで去年になって彼が1960年代初頭にやっていたグループのライヴの未発表エアチェック(放送録音)が2つ発掘された。例によってブートレグ王ボリス・ローズ由来のようだ。

1950年代から60年代にかけて、毎晩せっせとラジオ放送を録音していたボリス・ローズのコレクション。

1960年のAtlantic盤Philly Joe’s Beatが再発されるおまけとして世に出たのが1961年3月18日のクラブ「バードランド」でのライヴ音源で、フィリー・ジョーのドラムス、ウォルター・デイヴィス・ジュニアのピアノ、スパンキー・デブレストのベースという手堅いリズムセクションに、ビル・バロンのテナーサックス、マイク・ダウンズのコルネットというフロント陣。Philly Joe’s Beatのベーシストはポール・チェンバースだったがあとは同じメンツで、ビル・バロン(ケニーの兄貴)の参加も貴重だが幻のトランペッター、ダウンズがなかなか頑張っている。ダウンズはこれらの録音だけ残して1968年に若くして亡くなったそうだ。

フィリー・ジョーはあまり曲を書く人という印象はないが、ここでは義理のお母さんに捧げたBebeという自作曲をやっている。フィリー・ジョーは作編曲家、バンドリーダーとしてのタッド・ダメロンを尊敬していて、後年ダメロンの作品を中心に演奏するDameroniaというグループを結成したりしていたが、自身が書いた曲もちゃんとアレンジされていてどことなくダメロンぽい。フィリー・ジョーはピアノもうまいし、結構器用な人だったんですね。

肝心のおまけはありませんが、Philly Joe’s Beatの本体はYouTubeにもある。

Spotifyにはおまけ付きバージョンがすでに出ていた。

さらに、別途1枚ものとして翌1962年のやはりバードランドでのライヴが出た。こちらは1962年1月5日と2月24日、3月3日の放送録音で、1月5日はフィリー・ジョーのドラムスにエルモ・ホープのピアノ、ラリー・リドリーのベース、そしてディジー・リースのトランペット、ソニー・レッドのアルトサックス、ジョン・ギルモアのテナーサックスというなんとも興味深い陣容。2月と3月のほうはリズム・セクションは変わらず、フロントがビル・ハードマンのトランペット、ローランド・アレキサンダーのテナーサックスに代わっている。特に1月のライヴは、サン・ラー・アーケストラの看板テナーという立場を離れ一ハードバッパーとして吹きまくるギルモアが凄い。不遇の天才エルモ・ホープの参加も珍しいが(ウェストコーストでうまく行かずニューヨークに戻ってきた直後の演奏だろう)、フィリー・ジョーはホープとは1940年代ジョー・モリスのグループに一緒にいたとき以来の古い付き合い。ここでも息の合ったところを見せていて、ホープが書いたTake Twelve(別名One For Joe)も取り上げている。同じようなメンツでスタジオ録音したもののお蔵入りになってしまったフィリー・ジョーのリーダー作については昔書いたことがあるが、あれも日の目を見ませんかねえ。ちょっと音が割れていて聞きにくいところはあるが、名物DJシンフォニー・シドの例によっていい加減な迷司会ぶりも含めて当時のジャズ・シーンのやみくもな熱気がまざまざと蘇る。

YouTubeには1曲だけあるが、これ、I Remember CliffordじゃなくてI Can’t Get Startedだよね…。SpotifyやApple Musicなど主要な音楽配信には(まだ?)無いみたい。

ところで私はドラミングの技術的なことは全く分からないのだけれど、今振り返るとジャズ・ドラミングほどここ50年ほどで標準化というか、みんな同じように叩くようになってしまった分野は他に無いように思われる。フィリー・ジョーもそうだし、ケニー・クラーク、アート・ブレイキー、マックス・ローチ(はまあ現代ドラミングと割とつながっているような気もするけど)、エルヴィン・ジョーンズ、そしてトニー・ウィリアムスあたりまで、昔のドラマーは皆強烈な個性があったというか、聞けばすぐ誰の演奏だと分かったものだが、今はみんな同じようなスタイルに収斂してしまったような気がするなあ。

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