ジョン・コルトレーンの1961年ヨーロッパ・ツアー

ジョン・コルトレーンはやる曲はだいたい同じでも時期によって案外やっている音楽の内容というか雰囲気が変わっているのだが、個人的にはエリック・ドルフィーを擁して1961年11月に行ったヨーロッパ・ツアーでの演奏がいちばん好きだ。このときの音源はブートレグも含めればほぼ出そろっているものの、リイシューや重複が多く情報が錯綜している。ということで、個人的な整理というかメモ書きを残すことにした。

The John Coltrane Referenceによれば、まずコルトレーンは1961年11月11日から17日までイギリス各地で公演を行った。ノーマン・グランツ仕切りのJATPツアーという体裁でディジー・ガレスピーのグループとのダブルビルだったのだが、イギリスでの評判は散々で客入りも悪かったようだ。そのせいかコルトレーンはこの年以降もヨーロッパ公演はやるのだが、ついに死ぬまでイギリスに戻ることはなかった。録音も全く存在しないようだ。

11月18日からいよいよヨーロッパ大陸でのツアーが始まる。イギリス・ツアーも含めほぼ毎日、場合によっては都市をまたいだ移動と複数回の公演というハード・スケジュールだったが、イギリスよりはましな反応で、満員札止めとなった会場も多かったようである。

11月18日(土) フランス・パリ
この日は18:30からと23:30からの2公演を行っていて、両セットとも録音が残っている。しかし夜中から開始のコンサートで客が来るものなのですね。土曜だからか。
11月19日(日) オランダ・スケベニンゲン
日本語話者はみんな大好きスケベニンゲンでのマチネー公演だったが、録音は残っていないようだ。
11月19日(日) オランダ・アムステルダム
なんと同じ日にアムステルダムへ移動して夜もう1公演やっている(まあ50kmくらいみたいだからそこまで大した距離ではない)。こちらも録音は残っていない。
11月20日(月) デンマーク・コペンハーゲン
チケットが売り切れて11月26日に追加公演が組まれるほどの人気だったという。デンマーク・ラジオによる放送が行われたので録音あり。
11月21日(火) スウェーデン・イエテボリ
夜に2公演やっているが録音は残っていないようだ。
11月22日(水) フィンランド・ヘルシンキ
夜に2公演やっている。Yles Radioによる放送と録音あり。
11月23日(木) スウェーデン・ストックホルム
夜に2公演やっている。録音あり。いわゆるサウンドボード録音があって、それをスウェーデン・ラジオが購入して放送したらしい。

ようするに、北欧のラジオ局にはジャズ・ファンないしジャズ・ミュージシャンが局員あるいは専属オーケストラの団員として結構勤めていたので、ラジオ放送されればだいたいの場合録音され、そして流出したわけですね。

ここまでの前半戦というか北欧ツアーは、昔から様々なブートレグやハーフオフィシャル盤として世に出ているのだが、2015年に英Acrobatから出たSo Many Thingsというある意味ふざけたタイトルの4枚組CDにほぼまとめられていて、よほどのマニアでなければこれを買っておけば良い。ただどうも4枚組バージョンはプレスミスで全然違うCDが混じっていることがあるようなので、2枚組×2の日本盤(Vol. 1Vol. 2)を買ったほうが安全かもしれない。元が放送用録音なのでリマスターとかあんまり関係ないです。Spotifyには無いがApple Musicでは配信されている(Vol. 1Vol. 2)。ただ、11月23日のセカンド・セットで演奏された短い(2分強)不完全版のNaimaだけはどのCDリイシューにも収録されておらず、どうしても聞きたければなんとこの種のブートレグの祖であるスウェーデン産Historic Performance盤まで遡らなければならない。なぜかドルフィー名義、ジャケット・スリーブはただの真っ白な紙でチラシが貼ってあるだけなのでホワイトカバーとか呼ばれていたあれです。

このツアーから1曲だけ聞くなら、その11月23日ストックホルムのセカンドセットで演奏された、25分にも及ぶMy Favorite Thingsでしょうね。音質は今ひとつでコルトレーンは若干お疲れ気味、おまけにソーメニーかはともかく何度も何度も演奏した(この日のファースト・セットでもやっている)手垢のついた曲といえばまあそうなのだが、とにかくコルトレーンを差し置いて途中から飛び込んでくるドルフィーの飛翔感溢れるフルートが凄まじい名演である。こうして改めて日程を見ると、北欧編が一区切りということで解放感があったのかもしれない。

この後は基本西ドイツツアーということになるわけだが、録音は断片的にしか残っていない。そもそもあまりラジオ放送されず、またラジオ局にコネがある人があんまりいなかったようでエアチェックが多いのがその理由であろう。

11月24日(金) 西ドイツ・ハノーヴァー
夜に1公演だけやったらしい。録音は残っていない。
11月25日(土) 西ドイツ・ハンブルグ
夜に2公演やっている。録音は残っていない。昔パブロから正規に出た7枚組 Live Trane にはこの日の録音という触れ込みで数曲入っていたのだが、あれは1962年2月10日ニューヨーク「バードランド」での演奏である。オフィシャル盤のくせに…。
11月26日(日) デンマーク・コペンハーゲン
夜に1公演。なんでこの日突然デンマークに戻ったのかと思っていたのだが、おそらくはオフ返上の追加公演だったのですね。エルヴィンがハンブルグにパスポートを忘れたとかで、ガレスピー・バンドのドラムスだったメル・ルイスが代わりにドラムを叩いたようだ。録音は残っていない。
11月27日(月) 西ドイツ・シュツットガルト
夜に1公演。ドイツのラジオ局SDRによってコンサート全体が録音されたそうだが、録音が手に入るのは3曲だけである。
11月28日(火) 西ドイツ・デュッセルドルフ
夜に1公演。録音は残っていない。
11月29日(水) 西ドイツ・フランクフルト
夜に1公演。ラジオ番組として放送されたので2曲だけ録音が残っている。
11月30日(木) 西ドイツ・ニュルンベルク
録音は残っていない。
12月1日(金) 西ドイツ・ミュンヘン
夜に1公演。録音は残っていない。この日の公演のあと、ドルフィーやマッコイ、メル・ルイスは地元のジャズ・クラブでジャム・セッションに興じたようで、その録音は残っている(たしかにドラムスはエルヴィンには聞こえない)。コルトレーンは別のクラブでゆで卵を食べコーヒーを飲みながら一人物思いに沈んでいた、さらなるニュー・シングを構想していたのだろうか、などという目撃談があるが、いろいろあったツアーがようやく無事に終わりそうでくたびれきっていただけであろう。リーダーはつらい。
12月2日(土) 西ドイツ・ベルリン
夜に2公演。録音あり。1曲だけ録音が残っている。
12月3日(日) 西ドイツ
オフだったようだ。
12月4日(月) 西ドイツ・バーデンバーデン
ついに千秋楽。録音あり。テレビ放送されたので動画も一部残っている。なんで鉄工所みたいなところで演奏しているのかは謎ですが…。

ということで、実は後半戦のドイツ・ツアーは、The Unissued German ConcertsEuropean Impressionsという2枚のCDだけで全部揃ってしまう(後者の後半は11月23日ストックホルムのファースト・セット)。前者後者もYouTubeにある。

コルトレーンのカルテットは、コルトレーンを不動の中心としてマッコイ・タイナー、ジミー・ギャリソン(このツアーはレジー・ワークマンだったが)、エルヴィン・ジョーンズががっちり脇を固め、よくも悪くも凝集力の高い、コルトレーンの指揮下一糸乱れぬユニットとして機能していた。エリック・ドルフィーは明らかに異物というか仲間はずれでうまくかみ合っていないのだが、まとまりはある反面一本調子に陥りやすいコルトレーンの音楽に全く違う方向性を持ち込んでいたように思う。逆にドルフィーはドルフィーで、堅固な黄金カルテットを踏み台に自由にイマジネーションを羽ばたかせることが出来たわけで、そういう意味では相互補完的な関係だったとも言える。強烈な個性の持ち主たちが好き放題やっているのに、全体としてはなんとなくまとまっている、というジャズの最も自由で優れたあり方を体現していたように思う。

この後レギュラーで組むことはなかった2人だが、後にもドルフィーがライヴで飛び入りするということはあったらしく、1963年にはコルトレーンの家で一緒に練習したり実験しているプライベート録音が残っている。付き合いはドルフィーが1964年に急死するまで絶えなかったようだ。コルトレーンはコルトレーンで、後年ファラオ・サンダースやアーチー・シェップをバンドに入れてみたのはドルフィー的異分子の導入を図ったのだろうが、残念ながら彼らは単純に力量が劣っていたし、そもそもコルトレーンを尊敬しすぎていたのでドルフィーのようにアザー・アスペクツを持ち込むというところまではいかなかったように思う。そして1967年には、コルトレーン自身も40歳の若さで死んでしまった。

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