ジュゼッピ・ローガンを振り返る

新型コロナ禍の犠牲となったジャズマンは多くいるが、ジュゼッピ・ローガンもその一人だった。2020年の4月に亡くなったのでちょうど没後4年である、享年84。

ローガンのリーダー作はESPレーベルに2枚ある。60年代ハードコア前衛音楽の牙城ESP、というだけで大体内容の想像はつくわけだが、そんな想像をも斜め上に上回るのがローガンだ。

リーダー一枚目のThe Giuseppi Logan Quartetは1964年の録音でこんな感じである。こんな感じとしか形容しようがないが特におすすめは2曲目の「サタンのダンス」。

ピアノのドン・プーレン、ベースのエディ・ゴメス、ドラムスのミルフォード・グレイヴス、全員一流のミュージシャンで、彼らががんばっているところは聴き応え抜群なのだが(ある意味彼ら三人の生涯ベストに近い演奏だと個人的には思っている)、その彼らの伴奏に乗ってプーとかポーとかたどたどしく吹いているのがローガンだ。それでもラストの「ブリーカー・パルティータ」(阿部薫もそうだったが、ローガンの曲名はいちいち詩的でかっこいい。ブリーカー・ストリートは当時ジャズクラブが多くあったNYCの通り)などではそれなりにピロピロ吹いているのだが、稚拙とまでは言わないにしてもお世辞にも上手い演奏とはいえない。まあ芸術においてうまいとかへたというのはどういう価値基準に基づくのかという難しい問題はあるのだが(楽器の扱いはうまくても表現者としてぱっとしない人はいくらもいる)、少なくともジャケット(おどろおどろしいがよく見ると実はローガンの似顔絵)はインパクト抜群ですね。ジャケット・デザインや曲名に見られる冴えた言語的センスといった音楽以外の要素込みで、60年代ジャズの象徴の一つだと思う。

二枚目のMoreは、タイトルが暗示するように実は一枚目の残りテイクに1965年タウン・ホールでのコンサートのライヴ録音を足した(ベースがレジー・ジョンソンに代わっている)もので、ローガンはソロ・ピアノも弾いている。それなりにうまいピアノである(アーチー・シェップと同じくらい)。これまたジャケットの絵が病んでいてすごいインパクトだ。

サイドマンとしては、パティ・ウォーターズのライヴ・アルバムに参加してフルートを吹いている。こういうものが前衛で最先端だと思われていた時代もあった。今聴くとただひたすらつらい。今でも似たようなことをやっている人はいるけど…。

また、ラズウェル・ラッドのデビュー作であるEverywhereにも参加している。例の「サタンのダンス」も再演していておもしろい。

1966年にはローガンのドキュメンタリー・フィルムが作られ、子連れで犬を散歩させているローガンの当時の姿が捉えられている。そもそも写真すらあまり残っていない当時のローガンの様子を窺える貴重な記録である。ちなみにローガンはその後妻子に逃げられたらしいのだが、息子のジェイは西海岸でファンクやブラコンを手がける音楽プロデューサーとなった。

ローガンはニューイングランド音楽院を出たらしく(当時バークリーに留学中の渡辺貞夫とも知り合いだったとか)、確かにそれなりに音楽を体系的に学んだ形跡はある。私が聴いた限りではアルトサックス、テナーサックス(たぶん)、バスクラリネット、フルート、ピアノ、そしてパキスタン・オーボエとかいう謎の楽器(シェーナイ?でも音がだいぶ違うような…)を吹きこなしていて、クラシカルな作曲の知識もあった。実はESPでは三枚目のリーダー作の準備もしていて、それはローガン作の弦楽曲をフィーチャーしたものになる予定だったようだ。ESPレーベルの社主バーナード・ストールマンによれば録音自体は行われ、テープは(メインはサックス奏者だが副業で録音エンジニアもやっていた)マーゼット・ワッツが持っていたらしく、後年ストールマンはリリースにこぎ着けるべく交渉していたが果たせなかったらしい。

ストールマンのローガン評。

ジュゼッピはものすごい量のドラッグをやっていた――それで燃え尽きたというか、イッたっきり戻ってこなかったんだ。私が思うに、これがジュゼッピに何があったのかの一番適切な説明だと思う。加えて彼は何らかの精神疾患を抱えていて、特に理由もなく私を攻撃したこともあった。彼はいきなり他人に襲いかかることがあったんだ。でも私は彼の音楽が好きだった。イベント「ジャズの10月革命」がきっかけで彼の初セッション(Giuseppi Logan Quartet, ESP 1007)を録音することになって、彼とミルフォード・グレイヴズがスタジオにやってきた。さあ録音を始めようというときに、ジュゼッピは私のほうを向いて言ったんだ。「俺から盗むなら、ぶっ殺してやるからな」。ミルフォードは困惑していたね。ジュゼッピを録音してくれと私に言ってきたのは彼だったから…。なのに私が録音の手はずを整えてあげたら、殺すと脅迫されたんだ。あるとき、私はエンジニアとコントロールルームにいたんだが、彼らが演奏していた曲が衝撃的なまでに美しくてね。完全に自発的で、まるでアドリブでコメントを交わし合う華麗な会話のようだった。そのとき、突然私は「シュルシュル」という音を聞いた。録音テープが終わってしまったんだ。エンジニアと私はあまりにも彼らの音楽に没頭していて、テープが無くなりそうなことに気づいていなかったんだね。「あーあ、この素晴らしい音楽は失われてしまったんだなあ。途中で中断されて、おしまいだ」と思ったよ。リチャード・アルダーソンがエンジニアだったんだけど、彼はインターコムで「ジュゼッピ、テープが切れた」と伝えた。そしたら間髪を入れず、ジュゼッピは「止まったところまで巻き戻してくれ。そこから続けるよ」と言ったんだ。で、アルダーソンが言われたとおりに巻き戻して数小節再生し録音ボタンを押したら、連中は彼らが録音が止まるまで演奏していたところから正確に再開したんだ。どのあたりで終わったとか全く分からなかっただろうに。現実とは思えなかったよ。

1970年代以降、ローガンの足取りはぱったり途絶える。おそらく誰もがローガンはとっくに死んだと思っていたのだが、なんと死んでいなかったのである。2008年、ニューヨークの公園で偶然年老いたストリート・ミュージシャンの姿が捉えられたが、それがローガンだった。ちなみに私も同時期にそのトンプキンズ・スクエア公園へは行った記憶があり(近くにパストラミサンドで有名なカッツ・デリカテッセンがある)、全く覚えはないがもしかするとローガンを見かけていたのかもしれない。まさかそんなところで前衛音楽の雄が「ビギン・ザ・ビギン」を吹いているとは夢にも思わんし…。

当人の記憶も曖昧なようでよく分からないことも多いのだが、ようはホームレスとして各地を転々としていたらしい。そしてローガン健在を知って仰天した皆さんのカンパによりまともな楽器が用意され、カムバックということになった。それが2010年のThe Giuseppi Logan Quintetである。その後も何枚かアルバムを発表している。

約40年の月日を経て、上手かったのが下手になったとか、逆に下手だったのが上手くなったとかなら分かるが、 何も変わっていない ことに驚倒する。あれは、ローガンの確固たるスタイルだったのである。

カムバック後というか晩年のローガンの演奏は、正直に言えば長いエピローグでしかないような気もするけれど、でも復活してよかったと心から思う。フリージャズや前衛音楽というのは、聴き手の既成概念を揺さぶって破壊するところに価値があるのだが、それはわざわざ聴き手をコンフォートゾーンから追い出すというか、ある意味嫌がらせをしているようなものなわけで、初手から不利な戦いを強いられているとも言える。でも、やはりこういう音楽は 世界に 必要なものなのだ。「against all odds」(強い抵抗にもかかわらず、あらゆる予想を覆して)という英語の言い回しがあるけれど、まさにagainst all oddsな紆余曲折を最後まで生き延びたローガンは、だからこそフリージャズのイコンと呼ばれるにふさわしい存在なのだと私は思う。

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