ランディ・ウェストン
2018年ももうすぐ終わりだが、今年も多くの著名ミュージシャンがこの世を去った。
ジャズが一つのピークを迎えたのは1956年だったと個人的には思うのだが、そのあたりに2、30代でばりばり活躍していた人、すなわち1920年代から30年代にかけて生まれた世代が、そろそろ厳しい年齢になってくる。人間がいつか亡くなるのは世の常なので仕方が無いのだが、さみしいものである。
さみしいと言えば、最近は音楽配信などで、昔ならレコード屋を何軒も巡って探し回らないと手に入らなかったような貴重な音源が、家にいながら簡単に聞けるようになってきた。私のような者には夢のような状況だが、問題は、そもそもそういう素晴らしい音楽がある、ということを知る機会が減っているということで、存在を知らないものを探すわけがありませんよね。これはさみしいというか、もったいない話だと思う。
個人的に今年亡くなって悲しい一人が、9月に世を去ったピアニストのランディ・ウェストンだ。1926年生まれ、享年92なので大往生の部類だが、実力の割に今ひとつ日本では知名度が低かったという印象が強い。最晩年まで割と頻繁に来日していたんですけどねえ。
ピアノのスタイルにひとくせあるのと、横溢するアフリカ趣味がもしかすると拒否反応を引き起こしたのかもしれないが(といっても、実は言われるほどアフリカ音楽ぽいわけでもないのだが)、CDが手に入りにくかったというのが最も大きかったような気がする。最近になってようやく大概の作品がAmazon.co.jp等で手に入るようになったので、長いキャリアを俯瞰できるようになった。再評価はこれからではないか。
ウェストンは、ジャズ界では意外と珍しいニューヨーク・ブルックリンの生まれで、生家はレストランを経営していた。生涯にわたるアフリカへの憧憬は、熱心なマーカス・ガーヴィー支持者だった父親の影響のようだ。2メートルを超える巨躯を活かしスポーツの道に進むつもりだったウェストンにピアノを習わせたのも父親だという。第二次世界大戦に従軍し、沖縄に駐留した経験もある。ちなみにウィントン・ケリーはいとこらしい。
高校を卒業後レストランを継ぎ、自ら厨房に立って腕をふるっていたウェストンだが、彼の店にはカウント・ベイシーやデューク・エリントン、アート・テイタム、セロニアス・モンクといった連中が足繁く通った。特にモンクに強く影響されたウェストンは、コックを続けながらセミプロとしてピアノを弾くようになる。初リーダー作を録音したのは1954年で、大体このあたりで音楽専業になったようだ。1955年には、ダウンビート誌のニュー・ピアノ・スターに選ばれている。
今ではビル・エヴァンスの印象が強いリヴァーサイド・レーベルだが、実は第一弾の専属契約はウェストンで、1955年にはこのレーベルに優れた録音を残している。Get Happy with The Randy Weston Trioがそれだが、面白いのは2曲目の Fire Down There で、この曲聞き覚えありますよね。
ソニー・ロリンズが St. Thomas を録音したのはこの一年後なので、パクったとしたらロリンズのほうなのだが、おそらく元は同じカリブの民謡なのだろう。みんなイギリス民謡の The Lincolnshire Poacher が元ネタだというのだが、全然違う曲のような…。ちなみにロリンズもウェストンと同じニューヨークの地元育ちなのだが、関連があるのだろうか。
50年代から60年代初頭にかけてのウェストンは充実していて、この後も優れたアルバムを量産している。最近は同じ時期のアルバムを何枚もまとめてCD2枚組、みたいな廉価盤が多く出ているので、そういうのをセットで買えば良いと思うが、重要性で一枚挙げるとすればやはり1958年の Little Niles ですかねえ。ジャズ・ワルツに新風を吹き込み、作曲面でも高く評価されるようになったきっかけがこの作品だ。この後亡くなるまでずっと編曲を任せることになる女流トロンボーン奏者、メルバ・リストンとの付き合いもここからである。
コールマン・ホーキンスとケニー・ドーハム、しかもドラムスはロイ・ヘインズという豪傑連を揃えたライヴ盤の Live At The Five Spot も個人的に気に入っていてよく聞くアルバムだ。全員遅刻して全くリハーサルが出来なかったらしいのだが、それでも乗っているメンツさえ揃えればなんとかなってしまうという、上り調子の時代らしい怪演である。
60年代に入るとアフリカ趣味が全開になるが、その先駆けとなったのが60年の Uhuru Afrika だ。割と最近まで、ウフルではなくウルフ・アフリカだと思っていたのは秘密。
同時期だと、63年の High Life も大編成でやりたい放題やっていて好きなアルバムだ。アフリカぽいと言えばまあそうなんだけど、ウェストンの唯一無二の個性というほうが的確な形容のようにも思う。こんな音楽を作った人は他にいません。
60年代のウェストンの一つの頂点が、ゲストにブッカー・アーヴィンを迎えた66年のモンタレ-・ライヴだと思う。メンツもレパートリーも演奏内容も文句の付けようがない、迫力満点の演奏だ。
60年代に入ってたびたびアフリカを訪れるようになったウェストンは、とうとう1968年からモロッコ・タンジールに移住し、現地でクラブを経営するようになる。72年に帰国すると、なぜかCTIに、ということはクリード・テイラーのプロデュースで、Blue Mosesという珍盤を吹き込むのだが、豪華なビッグバンドをバックにエレピを弾いた、いかにもCTIっぽい作品である。みんなけなすのだが、私は結構好きです(案外売れたらしい)。とりあえず、フレディ・ハバードがばりばりと吹きまくっているのを聞くだけでもおつりが来ると思うのだが。
70年代には、当時のピアノ・ブームを反映してか、ウェストンもソロ・ピアノものを録音するようになるが、これがまたなかなか好ましい。ウェストンのソロ作に関しては以前もブログで書いたことがあるが、どれも腰が据わった演奏で、上から打ち下ろすような強靱なタッチが素晴らしい。やはりピアノは、一音一音くっきりと弾いてくれないとねえ。
80年代末には、パリでエリントン、モンク、自分(セルフ・ポートレイト)に捧げた三部作を録音するが、これもまた甲乙付けがたい。一枚だけ挙げるならやはりモンクか。イドリース・ムハマッドの超個性的なドラミングが、ピアノ・トリオ(厳密にはパーカッション入りだけど)という文脈でも魅力的なことを教えてくれたアルバムでもある。熱に浮かされたような I Mean You もいいし、じっくりとブルースで煮染めたような Functional はモンクの自演を上回る出来だと思う。
1991年には、ファラオ・サンダースやディジー・ガレスピーといった豪華ゲストを迎え、キャリアの総決算とも言える2枚組大作 The Spirits Of Our Ancesteors を録音する。実は初めて聞いたウェストンがこれで、子供のころ近所の図書館で借りたのだが、冒頭突っ走るウェストンのピアノを聞くと今でもぞくぞくする。
この後も最晩年まで優れた作品を残し、来日も果たしているが、とりあえず主立った作品を挙げるならこれくらいか。そして今年、ウェストン自身もアンセスター、すなわち祖先たちの仲間入りをしたわけですね。
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