ビッグ・ジェイ・マクニーリー

Road House Boogie

80代になっても相変わらず激烈な演奏を続け、来日までしていた不死身のホンカー・キング、ビッグ・ジェイ・マクニーリーもとうとう死んでしまった。1927年生まれなので、享年91。

むかしホンカーとかスクリーマーと呼ばれるサックス吹きの一群がいて、1940年代から50年代にかけて一大ブームを巻き起こした。ホンク(車のクラクション音)とかスクリーム(叫び)という名称からも分かるように、難しいフレーズを速く吹くとか高度なハーモニーを駆使するとかそういうのとは全く次元が違う、ブッブーという一音一音の迫力(と演芸的おかしみ)で勝負した漢たちだ。ホンカーはR&Bを経由してロックやパンクの源流の一つとなったが(ジミヘンもマクニーリーのステージ・マナーを模倣したという)、今ではどちらかというとフリー系のサックス奏者が遺風を継いでいるような気がする。

1949年にビルボード誌のR&Bチャートで一位を獲得したマクニーリーの大ヒット曲Deacon’s Hopは、ホンカーのアンセムの一つとされる。

まあ、正直に言えばなぜこの演奏がそこまで大ヒットしたのか、もはや私にはよく分からないのだが、この人の場合ステージでのパフォーマンスも込みの人気だったのだろう。サックスに蛍光塗料を塗っておき、ステージを暗転させてピカピカ光りながら吹きまくる、寝転がって足をばたばたさせながら吹きまくる、客席を練り歩きながら吹きまくる、1989年のベルリン公演で吹きまくりすぎてベルリンの壁を倒壊させる(たまたまその日に演奏していただけ)、吹きまくりながらクラブの外に出て騒音で逮捕され戻ってこないなど、様々な伝説の持ち主である。

兄貴のボブ・マクニーリーもバリトン奏者で、よく共演していた。この曲などはボブ兄ちゃんを大いにフィーチャーしている。

こう書くとなんだかメチャクチャな人のようだが、元は地元ロサンジェルスでまじめにビバップなどをやっていたらしく、幼なじみのソニー・クリスやハンプトン・ホーズはマクニーリーのバンドでプロ・デビューを飾ったそうである。ビッグ・ジェイという芸名も、レコード会社の社長(悪名高きサヴォイ・レーベルのハーマン・ルビンスキ)の、「本名のセシル・ジェームスじゃウケない!お前は今日からビッグ・ジェイだ!」という鶴の一声で決まったそうだ。マクニーリーの身長は178cmなので、図体は別にそこまでビッグではないのだが。

私はサックスの技術的なことはよく分からないが、音は良く鳴っているし、実はこの人は相当うまいのではないか。70年代には一時音楽界から引退して郵便配達をやっていたが、80年代に入って復帰し、後は亡くなるまで吹きまくって楽しませてくれた。普通、ミュージシャンは放蕩で体を壊してから宗教に目覚める人が多いのだが、マクニーリーは元々子供のころからエホバの証人の信者だったとかで、節制に務めたのが長持ちと長生きの理由だろう。

これは1983年の動画のようだが、往年のルーチンを惜しみなく披露していて、全盛期のマクニーリーのライヴの凄まじさを垣間見させてくれる。というか、この時点ですでに60歳近いわけで、見た目も若いしすごいスタミナですよね。

1987年のグラミー賞のパーティでは、B.B.キングら超大物に混ざって演奏しているが、なぜか一人だけ客席から上がってくるあたりが千両役者である。

最晩年、日本のバンド、ブラッデスト・サキソフォン(ブラサキ)と共演しているマクニーリー。

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